「これが自分の足音か…」。誰も居ない田舎道、たっとん、たっとん、と情けない効果音が聞こえる。人も車も通らない道は無駄に音が響く。
地元に残る友人も離れた友人も居るけど、どちらかといえば離れていった友人の方が多い。友人ではない人もカウントすれば圧倒的に去った人が多いと思う。
ここは田舎の侘び寂びが存在する場所でもなく、スーパーやホームセンターも点在するので生活には困らない。中途半端な場所。そしてでっかい山もある。
近所の酒屋の色落ちしたベンチに座り、これまた酒屋に設置された自販機でブラックコーヒーを買ってちまちま啜る。つかつか歩けば家まで残り5分の距離。余白の多さだけなら田舎に軍配が上がると思う。
時刻は22時。寝るには早い。もうちょっと粘りたい時間帯。翌日を気にしながら生活する器の小ささに辟易しつつsteamを物色する。できれば短編作品を触って満足感に包まれて眠りにつきたい。
ちょうどその頃、『ノベルゲームコレクション』と呼ばれるプラットフォームで遊んだ作品『Forever Time』の有料版がリリースされたことを思い出す。
初めて遊んだ時から約一年経っていた。
たまに「無料で遊べるのに有料版を買う意味あるの??」みたいな『おませさん』に遭遇するけど、惚れた相手に良いとこ魅せたいのが人間の性だと筆者は思う。理屈じゃなくて衝動に近い。粋な肴を当てにしてゴールデンタイムとしゃれ込む。
今作はレンタルビデオショップをクビになって自棄になった主人公『羽生ユウト』と、カメラを持ったヒロイン『深町なずな』の二人で構成されている。実写映像を用いた『シネマティックノベル』を謳っており、映画のような世界観は他の作品にはない珍しい取り組みだと思う。
空虚な男性が天真爛漫な女性に引っ掻き回されて前を向く。「あぁ、俺の前にもカメラ持った女の子が現れてくれねぇかなぁ~」と思うわけです。男なんて単純ですからね。きっと全員が同じ事を思ってます。
とくに『歩道橋』のシーンなんて凄いんですから。どんなシーンかって?そこは自分で確認して。
とまぁ書いてみたものの、中身の紹介をする気はあまりない。知っては欲しいけど、あなた自身で知って欲しいわけであって、こちらがあーでもない、こーでもないと紹介するのは違うじゃろと思うわけです。
このゲーム、余白が綺麗なんですよ。
BGMだって見せ場しかならないし、ずっと環境音が鳴っている。映画だって同じだと思うんです。主人公とヒロインのたわいない会話で陽気な音楽が流れてたら嫌じゃないですか。ミュージカルじゃあるまいし。
同じ目線に立って、同じものを見て、断片的な思い出を眺める。唸る伏線も濃厚なプロットも要らない。点と点の間をぼんやり眺めるような美しさ。これがシネマティックなのかもしれない(たぶん違う)。
『Forever Time』は、なんというか、親身な関係性の人間同士が肩を寄せ合って、柔らかい部分をぶつけ合ったときのポンっ、とした温かみだったり嬉しさみたいなものを感じる。何の気なしにぼんやりと横切る、『何らかの思い出』。終電を逃して飲み仲間と向かったカラオケで、懐メロを投入して込み上げてくる戻れない記憶ってあるじゃないですか、アレみたいな柔らかい痛みがぽんぽんぶつかってくる。
適度な距離感と余白。無理やりこちらに入ってくるような雑味がない。情緒が置いてあって。前後に空間があって。余白を凄い感じる。
もちろん写実的な映画の良さや、双方向性が活きるゲームっぽさもある。ビジュアルノベルでありつつも何処か生っぽくて、ぎゅっと圧縮した他人の人生の中にいるような感覚。外から語れられる物語も良いけど、内から眺める物語も良いよなと思うわけです。
うっすら、ヘッドホンを超えて電車の走行音が聞こえる。数㎞先の線路から鳴っているんだと思う。人の気配のない田舎は音が良く響く。併せて窓枠が揺れる音も聞こえる。こんなに静かなゲームは早々ない。
汚いモニター画面から美しい実写背景を眺め、窓から流れ込む電車の走行音だけが鼓膜を揺らし、何をするわけでもなくぼんやりと時間を過ごす。押し売りされない感じが心地よかった。
あぁ、しまった。勢い余ってポエミーな記事を書いてしまった。これは紹介というべきなのか、ただの日記なのだろうか。でもまぁ、そんなことはどうでも良いのかもしれない。
「この一瞬が、永遠になればいいのに」なんてドラマチックなことは早々起きない。起きたとしても人は忘れてしまう生き物だと思う。だとしても、その一瞬は遠い未来でふとした瞬間に現像されて、忘れた頃にまた出会えるのかもしれない。
自分の人生を、もうちょっとでもシネマティックにしたいなと思うゲームだった。
ゲームリンク
https://store.steampowered.com/app/3278330/Forever_Time/