寂しさにも、熱がある。『Keep Only One Loneliness』

「ごめん、眠いから今日だけタバコ吸っていい?」
「大丈夫だけど、眠いなら寝てても大丈夫だよ」

夜勤明けの彼女はメビウスを取り出し、申し訳なさそうに窓を開けて煙を吐き出す。暖房のこもった車内に新鮮な空気が流れ込み、仕事終わりの二人に涼を与える。私は睡魔が襲ってくる前に自宅へ車を走らせた。

しばらくして、彼女がダッシュボードの吸い殻入れを開けると、4本のくたびれたタバコが顔を出す。悪びれる様子もなく吸い残しをねじ込み、パタリとケースを閉じて「疲れた…」と一言、二言。たわいもない話を交わした後、彼女はドア窓にゆっくりともたれた。

不思議なもので、自分は非喫煙者なのにタバコの思い出が多い。給料すべてをパチンコと酒に費やして「わかば」を吸っていた会社の同期、久しぶりの飲み会で「セブンスター」を吸っていた地元の友達、急にギャル化した知人の吸っていた細長い「ピアニッシモ」。

喫煙者と非喫煙者。どちらの気持ちも分かれば良いのに、と思うときがある。思い出に残る友人達は何らかの理由でタバコが好きになった。自分は好きになれなかったけど、煙を介して相手のことを知ることはできたんじゃないかなと思ったりもする。

今回紹介するのは、とある愛煙家と禁煙家の恋模様を描いた作品『Keep Only One Loneliness(以下、KOOL)』。キャッチコピーは「寂しさにも、熱がある。」。タバコを吸わない人にも伝わる柔らかさがあって、一目見て良い言葉だなと思いました。

先に伝えておくと、本作は喫煙を肯定している作品ではありません。作中にはタバコを嫌悪しているキャラもおり、喫煙者・非喫煙者の視点で物語は動きます。どちらか一方にフォーカスするのではなく、双方に寄り添った部分にやさしさを感じました。

本作を制作するのは、代表作として『ghostpia シーズンワン』を持つ4人組の創作ユニット「超水道」。シナリオを蜂八憲氏、イラストを斑(ぶち)氏が担当しています。インディーゲームに馴染みがあれば、知っている方も多いかもしれません。

また『KOOL』を紹介するにあたり、一点だけ共有しておきたいことがあります。本作は超水道が手掛ける文庫本のようなビジュアルノベル『デンシノベル』として制作されており、横画面ではなく縦画面で楽しむレイアウトが施されています。

パソコンの大画面はもちろんのこと、電車やバスの通勤・通学中にスマホから快適に遊べる部分も特長といえるでしょう。縦書きテキストに音楽と挿絵が組み合わさり、文庫本とビジュアルノベルの良い所を併せ持つ体験が味わえます。

全体の概要はこれくらいにして、早速『KOOL』を紹介していきましょう。

この記事は『超水道』様の提供でお送りします


本作の主人公「平和真(たいら かずま)」は、大学の新歓で知り合った先輩「兼園香(かねぞの かおり)」に恋をして告白したものの、結果は友達止まり。傍から見れば恋人同然に見えても、どうやら実態は一線が引かれている様子。

和真はオシャレな兼園に服を選んでもらい、垢抜けるようにと眼鏡からコンタクトに変えるよう勧められる。彼女に言われるがまま自分磨きに精を出す一方、友達以上、恋人未満の関係は続く。それでも、理想的な先輩との蜜月は変わらない。

彼氏としては、あと一歩届かない距離。どっちつかずの関係に焦燥感を覚える和真と、頑なに距離を保とうとする兼園。和真が話し合おうとしても、彼女のまとう焼き菓子のように甘いベンゾインの香水が、思考を微睡ませる。重く沈むような香りを選ぶところに、彼女の魔性を見た。

仲睦まじくも進展のない兼園の煮えきらない態度から、和真は彼女が大嫌いだったタバコに手を出すことを決意する。すべては好きだった人に嫌われるためだ。彼は愚直かもしれないが、自分の気持ちに嘘をつかない誠実さに胸を打たれた。

兼園との蜜月も解消され、和真がひとりぼっちの誕生日を過ごすシーン。気まぐれで選んだ「わかば」を吸って彼は盛大にむせる。この場面が妙に人間くさくて、筆者は和真のことが好きになった。


好きなひとがいた。
嫌われるために、タバコを始めた。
僕の場合は、そうだった。
嫌いになんてなりたくなかった。
嫌われる方がよほど楽だった。

KOOL本文より引用


時が流れ、和真は総合商社に就職。彼にタバコを教えてくれた大学時代の先輩「健斗」とも同僚となり、喫煙所で楽しそうに談笑する場面も描かれる。そこで新人教育を担当する上司の「桜田若葉(さくらだ わかば)」と出会い、恋は再び動き出す。

親身なアドバイスや失敗へのフォローを欠かさない、優しくて実力もある憧れの先輩。恋に落ちない理由は何一つない。ある日、大口契約を獲って自信を得た和真は、その場の勢いも相まって桜田に告白する。

桜田は和真からタバコを1本受け取り、「きっと、君が私のことを想ってくれてるほど、私は君のことを想ってない」と返事をする。その後「今の君と私とでは、それなりに距離があると思うの」と互いのタバコの先を合わせ、火を分け合った。

最後に「だから、その差を埋めたいと思うわけよ。できる?」と告げる。その距離、タバコ2本分。距離を縮める方法はたった一つ。ふたりの間にあるタバコをなくせばいい。タバコを吸わない桜田は、交際条件として和真の禁煙を提示する。

タバコを取るか、桜田を取るか。答えは一つに決まっている。和真は彼女を選んでタバコをやめた。大切な人から離れるためにタバコを始め、大切な人と近づくためにタバコをやめた。愛煙家の気持ちは分からないけれど、なんとなく和真の気持ちは分かる気がした。


好きなひとができた。
付き合うために、タバコを止めた。
僕の場合は、そうだった。
好きなものより、好きなひとに好かれたかった。
好きなひとで好きなものを、上塗りしたかった。

KOOL本文より引用


「このまま順調に禁煙が成功して…」とはいかないらしい。紫煙が消えたとしても、火種はしぶとく残り続けるものだ。和真が選んだ道を通じて、寂しさにも熱があることを、あなたが少しでも感じ取ってくれたら筆者はうれしい。


筆者が初めてお付き合いした女性はタバコを吸う人だった。いや、「気づいたら吸っていた」と伝えた方が正しいかもしれない。専門学校を卒業して就職した彼女が、不意にタバコを勧めてきたときは驚いた。

非喫煙者と喫煙者の恋愛は難しい。まさに筆者がそうだった。彼女と軽く食事へ行こうにも喫煙できる場所は絞られ、ショッピングモールでは狭苦しい喫煙所にも同行する。好きな人と一緒とはいえ、タバコを吸わない人間が少々割りを食う組み合わせだとも思う。でも不思議と嫌ではなかった。

記憶を頼りに彼女が吸っていたタバコを探してみた。「メビウス・プレミアムメンソール・オプション・パープル」という名前らしい。当時「吸うところを歯で潰すとブルーベリーの味がするんだよ!」と彼女が楽しそうに実演してくれたことを思い出した。

筆者も付き合っていた人に「タバコをやめてほしい」と伝えたことがある。当時25歳の若造が想像できる範囲で将来を見据えており、子どものことを考えても百害あって一利なしと思っていたからだ。嫌そうな顔をされて痴話喧嘩したのを今でも覚えている。

アラサーと呼ばれる歳になって今更気づく。自分は喫煙する気持ちを理解する気がなかったんだと。正論を押し付け、相手から目を背け、歩幅を合わせようとしなかった。タバコに隠れた心情を何一つ見ていなかった。手から抜けていく、煙のような「好き」だった。

▼初めてタバコ買いました(筆者撮影)

好きな人のために何かを始めたり、やめたりすることは、誰しもに訪れる普遍的な恋路だと思う。KOOLはタバコを介して登場人物の恋模様を描きながら、非喫煙者にも共感できる形で喫煙の描写を丁寧に落とし込んでいた。

愛煙家がうまそうに煙をくゆらせて憧れの人を眺め、元愛煙家が喫煙所のそばで大切な人に想いを馳せ、非喫煙者が好きだった人の面影を浮かべてタバコに火を付ける。誰しもがタバコに特別な思い入れを持っていて、ちょっとだけさみしさを抱えている。

作中、とある人物がタバコを一番吸いたくなるタイミングについて「終わったとき」と告げていた。筆者は非喫煙者ながら、確かにそうかもと妙に納得してしまった。終わりを経験した人間が漂わせるやさしさ。そこを感じられるのもKOOLの好きな点だ。

タバコは健康に害を与える。それは紛れもない事実だ。その反面、心の柔らかい部分を保護する大切な存在でもある。気持ちの隙間を埋めるものが偶然にもタバコだった。ただそれだけのこと。喫煙者も非喫煙者も、結局は誰かを想っているだけなのかもしれない。

筆者に和真の感じている禁煙の苦しさを知る術はない。でも、心の拠り所を失った息苦しさなら理解できる。一時でもさみしさを騙せるなら、心が揺らいでしまうかもしれない。それに、揺らぎのきっかけは、いつも自分の中だけにあるとは限らない。

良い物語の後には余韻と満足感が訪れる。煙のようにフワッと立ち上がって消えていく本作の読後感が心地良くて、終わってしまうのがちょっぴり寂しかった。いまの自分が感じている「寂しさ」と、作品に含まれる「さみしさ」は似ているようで違っていて、KOOLは超水道らしさを感じられる作品だった。


最後にもうひとつ。KOOLの魅力は物語の面白さだけでなく、文章の読みやすさにもある。一度に表示されるテキスト量が一口サイズに調整され、わんこそばのようにテンポ良く流れ込んでくる。長文を読み解くのではなく、いつの間にか入ってくる感覚に近い。

KOOLは全6章立てで構成されており、物語は起承転結に進行するので読み手に負荷もかからない。画面タップで紙をめくるように読んでも、自動ページ送りで眺めるように読んでも、綺麗にラッピングされた文章が心地よく繋がっていく。

歳を重ねるごとに本は「読める人」、言い換えれば「大盛り丼サイズの文章を一気に咀嚼して味わえる人」のものであると決めつけて、自分には関係ないものとして扱っていた。筆者はせいぜい、短編集を1冊にまとめたエッセイ本をたまに読む程度。数万文字から構成される小説からは未だに距離を置いている。

いつ以来だろうか、「本を読めた」という感覚を味わえたのは。30歳を過ぎた大人が読んでも、瑞々しい達成感は得られるものらしい。KOOLは遊ぶよりも読むことに近くて、二の足を踏んでいた私たちの読書体験に寄り添ってくれる。ゲームと読書の橋渡しを担っているのかもしれない。

もし、この記事をきっかけとしてKOOLを読んでくれる人がいるならば、どんな形でも良いので自分の言葉で感想を残してほしい。作品に自分を重ねて筆者みたいに昔話をしても良い。「面白かった」「難しかった」と口に出すだけでも良い。

外に向けて意見を出すことは基本的に怖いことだと思う。自分しか見えていない景色を他者と共有するのは、とても勇気が必要な行為だからだ。筆者もこうやって書いてはいるものの、正解のない文章を書くのはいつも不安で仕方ない。

でも、世の中は意外と単純で、誰かが何となく思ったことで救われたり、自分の何気ない一言が他人を勇気づけていることが大半だと思うんです。俺がこの記事を書くことで誰かがKOOLと出会って、ちょっとでも人生って悪くないと思ったら嬉しいじゃないですか。

まずはKOOLを読んでみてください。そこで何も思わなければそれで終わればいい。何か思うことがあったり、良いものを読んだと思ったら広めていただけると嬉しく思います。なぜなら筆者は本作が好きだから。

「誰かから生まれたさみしさは、きっと、その誰かにしか埋められない」

自分もこんな言葉を書ける人間になりたいと思った。

〈詳細情報〉

作品名Keep Only One Loneliness
ジャンルデンシノベル
価格無料
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