人生の選択はいつも突然訪れる。
嬉しいサプライズで有頂天になったり、厳しい現実から目を背けたり、良いことも悪いことも飲み込んで、わたしたちは先の見えない未来に向かって歩み続けなければなりません。順風満帆な人生なんて稀です。
もし仮に、あなたが人生のパートナーと結ばれ、子どもを授かったとしましょう。それは幸せなことかもしれませんが、人生の下り坂と重なってしまったらどうでしょうか?
今回紹介する『ソヒ』は、妊娠をきっかけに人生が急転していく女性・ソヒを描いたアドベンチャーゲームです。妊娠という出来事だけを見れば幸せな物語に思えますが、キービジュアルには悲しげな女性の姿が。

彼女の身に何が起きて、何を選び、どのような結末をたどるのか。
人生が思いどおりに進まなくなった経験のある方に、届いてくれたらうれしいです。
この記事は『株式会社Digital Touch』様の提供でお送りします。
また序盤の一部ネタバレを含んでいるためご了承ください。
体調不良をきっかけに妊娠が発覚、そして…

主人公の名前はソヒ。
ソは素敵の素、ヒは希望の希。
とある願いが込められている。
学生の彼女はミュージカル女優になる夢を持っており、『アネモネ』という舞台のオーディションに向けて練習の真っ最中。恋人のイェジュンと一緒に、毎日居残り稽古に励んでいます。
練習が功を奏し、一次オーディションを突破。しかし、度重なる練習のせいか体調を崩してしまい、その日は練習を早上がりすることに。帰り道に立ち寄った薬局で、顔なじみの店員から念のためにと妊娠検査薬を渡されます。
帰宅後のシャワー中、思い立って検査薬を使うと結果はまさかの陽性。練習中に体調を崩していたのも、食事が喉を通らなかったのも、授業中にうたた寝していたのも、すべて妊娠の初期症状だったのです。

目の前に迫るオーディション、子どもを育てる現実、そして自分自身の夢。ソヒは不安に駆られながら、イェジュンに「話があるの。明日、時間ある?」と相談することにしました。
一人なら押しつぶされそうな問題も、大切な人と一緒なら乗り越えられる。これはきれいごとでも何でもありません。ましてや、小さな命を授かっているならなおさらのこと。
翌朝になってスマホをチェックしても、イェジュンからの連絡はまだ来ていない様子。待っている間に学校の課題を進めていると、ようやく既読がつきます。しかし、返信が来る様子はありません。
電話をしようと決めたそのとき、
とあるメッセージが届きます。

あまりにも突然の出来事。昨日まで一緒に稽古していたのに、イェジュンはいなくなってしまったのです。新しい命を授かる喜びも、大切な人を失う絶望も、あっけなく訪れる。
そうして、ソヒは取り残されてしまいました。
母子家庭の過去とソヒの願い

急な出来事で最愛の人を失ったソヒ。「クヨクヨしてても仕方ない!生まれてくる子どものために頑張らなくちゃ!」なんて思えるはずがありません。しばし、不安に打ちひしがれる生活が続きます。
イェジュンを失ってから数日経ったある日、彼女は産婦人科にいました。「妊娠したなんて実感がわかない…」と旦那さんに不安をこぼす妊婦をよそ目に、ひとりで診察室に向かいます。
「失礼ですが……お相手の方はご一緒ではありませんか?」
「では……ほかにご家族の方はいらっしゃいますか?」
仕方ないとはいえ、医師から投げかけられる言葉に、こちらまでうなだれたくなりました。自分だったらその場で泣き出す気がする。その後に表示されたのは「います。」「いません。」の選択肢。事情を知っていると、ボタンを押す指も重くなるものです。

そして、物語はここからソヒの過去に向き始めます。彼女の実家は飲食店を経営しており、母親は店を一人で切り盛りしていました。ソヒは幼いころから父親の記憶もなく、母子家庭で育った過去を持っています。
生活は貧しく、母親の仕事も忙しい。保育園に預けられたまま迎えが来ない日も珍しくありません。筆者も似たような経験をしているので分かるのですが、周りの友達が両親と一緒に帰るなか、一人で待ち続ける時間は寂しいものです。
先生と一緒に家に帰っても、母親はソヒの帰宅に気づきません。もちろん、母親がわざと冷たい態度を取っているわけではないのです。ひとり親で子どもを育てることは簡単ではなく、生活を支えるために目の前の仕事で精いっぱいだったことが伝わってきます。

また作中には「児童給食カード」と呼ばれるものが登場します。日本ではあまり馴染みのない制度で、カードの意味を知ったときにはドキッとしました。
これは韓国で食事の支援を必要とする子どもたちに交付されるカードを指しており、指定されたお店やコンビニで使えるギフト券のようなもの。十分な食事を取れない子どもを支える素晴らしい施策に見えますが、ここでの問題はそこではありません。
ソヒの友達が児童給食カードについて知らなかったのです。ソヒが友達の前でこのカードを使うことで、良からぬ噂が広がって彼女が傷つく可能性もあります。少なくともソヒにとっては、気軽に使えるものではなかったのでしょう。

ソヒはひとり親の厳しさを知っています。自分が味わった寂しさを、今度は子どもにも経験させるかもしれない。その恐怖を知ったうえで、外側にいる私たちは「産むべきだ」と簡単に言えるでしょうか。
『アネモネ』の主演を目指して

ソヒはミュージカル女優になるため、イェジュンと居残り稽古に励んでいました。自分の夢のために多くの時間を費やし、あと一歩で舞台に立てるところまで来ています。
「子どもを産むなら、自分の夢は諦めるべき」と一蹴するのがホントに正しいのでしょうか。当事者の気持ちは外から見えない。自分の過去や夢と、母親になる未来を天秤にかけることは、決して身勝手ではないはずです。

ある日、ソヒはイェジュンとの関係を知っている学校の教授から彼の遺品整理を頼まれます。思い出の品々に触れるたび、二人が過ごした幸せな日々やツーショットが画面に表示され、見ているだけで胸が苦しい。
学校のロッカーには、二人で練習した日々が映る写真や使い古されたイェジュンのスニーカー、ソヒがプレゼントしたタンブラーが残されており、居た堪れない思いが押し寄せてきます。
ソヒにも、イェジュンにも、夢があったのです。

ソヒは頼れるはずの両親と仲違いしており、最愛の恋人も亡くしてしまいました。かといって、心の傷が癒えるまでお腹の子どもは待ってくれません。彼女は大きな決断を一人で下さなければならないのです。
一言で言えば「産むか」「産まないか」の話ですが、ソヒはこれから訪れるかもしれない未来を子どもの頃に経験しています。彼女にとって出産の決断は単純な話ではありません。
知らないからこそ怖いものもあれば、知っているからこそ恐れるものもある。ソヒの肩にはひとり親として子どもを育てる重圧のほか、自分が経験してきた寂しさものしかかっているのです。

最後は、ソヒ自身が決断を下さなければなりません。
形見の黄色い傘と一匹の黒猫

頼れる人もなく追い詰められた状態で、ソヒは大雨のなか一匹の猫と出会います。
そこで、イェジュンの形見の黄色い傘を猫に差し出すのです。彼の思い出が残る大切な傘であっても、目の前で雨に濡れる猫を放っておけない。そして、次の言葉をつぶやくのです。
「自分が飼ってもあなたを幸せにできない」
辛い現実と向き合って生きてきたソヒだからこそ、無責任な善意が他者を不幸にすると理解しているのです。
そのまま立ち去ろうとするソヒでしたが、猫はずぶ濡れになりながら彼女についてきます。ソヒも根負けして家に連れ帰り、重圧に押しつぶされそうな気持ちを亡きイェジュンにこぼすのです。

これまで、ソヒはすべてを一人で決めなければならないと塞ぎ込み、責任の重さに苦しめられていました。しかし、黒猫を家へ連れ帰ったことで、自分の弱さを外へ出すきっかけになったのです。
ゲームの癒し役として猫が出てきたわけではありません。ここが物語の明確なターニングポイントになっており、起承転結の転として前向きな方向に進んでいきます。個人的にとても好きなシーンです。
ソヒが自分の人生を選ぶための物語

ソヒがどんな決断を下したのかは、もちろんここでは明かせません。ここまで読んでくれた読者の皆さまには、「産む」「産まない」の両方が見えていると思います。
妊娠は人生を大きく変える出来事です。それなのに、ソヒと同じように苦しい時期と重なることも珍しくありません。祝福すべきことかもしれませんが、人によっては素直に喜べない場合もあると思うのです。
悲劇ともいえる環境で、ソヒは最後まで迷いながらも自分の答えから逃げませんでした。投げやりになって他人を傷つけることもなく、自分の子どもにも同じ思いをさせるかもしれない恐怖と向き合っています。

筆者が本作でとくに好きな部分は、過度な演出で話を盛り立てていないところです。
嬉しくて安心する部分も、悲しくて泣きたくなる部分も。地道に一つずつ積み上げて、近道しないで感情に近づいてくる。そんな誠実な作り方に感心しました。
悲劇的なシーンを過度に描いて感情の起伏を誘う。それもまた一つの手法だとは思います。しかし、ゆっくりと染み込むような悲しさだからこそ、見えてくる感情や結末もあるのです。

また本作はミュージカルを題材にしており、作中で流れる音楽にも力が注がれています。ゲーム内楽曲を担当したのは、『都市伝説解体センター』の主題歌「奇々解体」を手掛けたMURASAKI氏です。
随所で流れるBGMやソヒの歌う劇中歌など、物語に沿った音楽的アプローチを取っているのも印象的でした。見せ場となるシーンでは「テキスト」「デザイン」「音楽」のそれぞれが主役級の活躍をしていて最高です。

最後に、筆者は男性です。
妊娠や出産を支える側にはなれても、産む側には決してなれません。ソヒの決断を代わりに語ることも、その正しさを決めることもできないと思っています。それでも、彼女が自分の人生を選ぼうとする姿と、それを丁寧に描いた本作に心を動かされました。
自分の人生を自分で選ぶことは当たり前に見えて、じつは心細くて難しいものです。一人で背負うには大きすぎるものから逃げず、自分の意思で道を選んだソヒ。それって、人としてカッコイイじゃないですか。
作り手が過度な悲劇を見せないからこそ、遊び手は決断の重さを感じ取れる。約2時間で終わる短編作品にはなりますが、重い題材を安易に消費せず一人の女性の感情に寄り添うアドベンチャーゲームを探している方は、ぜひ遊んでみてください。
〈詳細情報〉

| ゲーム名 | ソヒ |
| ジャンル | アドベンチャーノベル |
| ストア価格 | 1,000円 |
| リリース日 | 2026年3月31日 |