『自分で作る主人公』に対する苦手意識を言語化してみた結果、やっぱり苦手だと感じた

プレイヤーが自分で作る主人公?

ロールプレイが多様なプレイアブルキャラクター?

うーん長い。とりあえず、この記事では”アイツ”と呼ばせてもらおう。私は”アイツ”が苦手だ。“アイツ”は、自由度の高さを謳うRPGに生息している。オープンワールドなんて大抵”アイツ”が主人公だ。

“アイツ”は見た目も、素性も、能力も決まっていない。プレイヤーである私に、何もかもを決めさせようとする。まったく、無責任極まりない。

何をそんな目の敵にしているのかって?むしろこちらが疑問だ。なぜこうも”アイツ”が受け入れられているのか。あの不安定さが気にならないのか。

現在、執筆しながら2023年最大の注目作らしい「Starfield」をプレイしているのだが、この主人公も”アイツ”なのだ。忌々しい。

でも何故、私はここまで”アイツ”が苦手なのだろうか。私が”アイツ”を苦手とする理由を書いてみることにした。あなたが”アイツ”ついて再考するきっかけになったら幸いだ。アイツアイツ連呼しすぎて読みづらくなってるかもしれない。許してくれ。

感情移入ではなくキャラになりきる難しさ

ウィッチャー3 ゲラルト

主人公の人物像がハッキリしているゲームほど、感情移入しやすく物語を享受しやすい。感情移入がゲームの面白さを決定するとは言い切れないが、没入感を決める大きな要素の一つであると思う。

一例として『ウィッチャー3』のゲラルトという主人公を紹介したい。見た目・声ともに隙のないイケオジである彼は「ウィッチャー」と呼ばれるモンスター退治を生業としている。人々から畏怖され、政治的に中立した立場を取り、英雄色を好むキャラクターでもある。

共感を得られるかはさておき、濃いバックグラウンドや人格が確立しているほど、流れに身を任せるだけで物語に入り込める。選択肢が複数あったとしても、主人公に依存しているので違和感は無い。 

もちろん、プレイヤーがまったく共感できないキャラクターだと、とたんに没入感は下がるだろう。『ギャルゲー』と呼ばれるジャンルでも、「主人公の言動が不快すぎてやってられない!」みたいなのをよく聞く。(もちろんゲームによる)

一方で、”アイツ”には感情移入なんぞできない。”アイツ”はプレイヤーが操作して、”アイツ”になりきる必要がある。ロールプレイされることで初めて主人公となり、なりたい自分を体現させるための器でしかない。それなのに、なりきることは、思っている以上に難しい。

こだわりとゲームシステムが連動して初めて”なりきれる”

「Pathfinder Kingmaker」で作った主人公の初期設定
「Pathfinder Kingmaker」で作った主人公の初期設定

”アイツ”をうまく乗りこなすためには、感情移入ではなく”なりきる”必要がある。それには『プレイヤーがなりきりたい何か』を先立たせることが必要不可欠だ。

例えば「非道の限りを尽くす、悪人プレイがしたい」とか、「イケメンを作ってモテまくりたい」などのロールモデルが必要となる。私が作った主人公で言うと、「俊敏性の高いハーフエルフの女性で、ナイフ使いのローグ。その思想は現実的で、時には手段も選ばない。」みたいな。

プレイヤー自身に、こういうロールプレイがしたいという本質がないと、なりきることは不可能だ。解像度が低くなりきりたい何かが曖昧であるとキャラクターが崩壊する。

ただ、このキャラクターの解像度はゲームやプレイヤーによって大きく変わってしまう。

私が最近遊んでいる「Pathfinder Kingmaker」を例に挙げよう。今作はTRPGをベースに作られており、膨大なルールの中で事細かに主人公像を作り上げることができる。見た目、性別、利き腕、種族、アライメント、ステータス、スキル、呪文etc…

とにかく細かーーく、ルール制限が設けられている。

モンク 前提条件

例えば”モンク”というクラス(職業)を取るためには、アライメント(善―悪、秩序―混沌、といったキャラクター属性)で『秩序』が必要となる。

つまり属性の有無によって、物語での立ち振る舞い方にも影響を与えてしまう。

[秩序が必要]特定の属性が必要

クラスは戦闘スキルやプレイスタイルを決めるものだが、他の要素にも結びつく。モンクを選ぶことは『混沌属性』を諦めることでもある。結果として、秩序を重んじるキャラクター性が浮かび上がる。

ゲームシステムが複雑かつ、トレードオフに連動しているため、主人公の解像度は自動的に高まる。望み通りのロールプレイをするためには、ゲームルールの深い理解が必要とも言えそうだ。

100時間くらいプレイした今でも、このシステムを骨の髄から楽しめている実感が無い。まぁこれは、私の理解力が乏しいだけかもしれない。ちなみに救済措置として、難易度を下げて主人公を作り直すことも可能だ。

逆のパターンをあげよう。現在遊んでいる『Starfield』では、見た目以外に決める初期要素が2つしかない。1つ目となる『素性』は初期スキルとなり、レベルを上げることでやり直しが効く。セリフが多少変わるものの、それがゲームプレイに影響を与えることはない。

もう一つの初期設定である『特徴』は、固有ボーナスのような存在だ。ちょっとした特典を受け取れたり、フレーバーテキストが追加されるものの、プレイスタイルに影響を与えるほどでもない。

特徴 子供

Starfieldの主人公は、万能が故に何者にでもなれる。ハッキングが得意で、力持ちで、マインドコントロールで相手を説き伏せ、面倒なら暴力で解決するのだ。

もちろん、そのカオスが魅力なのだとも言える。工作員となってステルスやハッキングを楽しみつつ、ギャングや海賊に入って抗争と悪行を重ね、対立関係にある2つの派閥に所属して宇宙の平和を守る。

Starfieldで、大手企業の工作員となりステルスプレイしているときの一幕
Starfieldで、大手企業の工作員となりステルスプレイしているときの一幕

ただ、何者にでもなれるがゆえ、主人公の解像度は低くなってしまう。「この主人公には、こういうバックグラウンドがあって…」「こういうプレイングを主にやっていこう」みたいに”なりきる”には、プレイヤー自身による強いこだわりが必要になる。

いずれにせよ、何者かになりきるには『プレイヤー自身の強いこだわり』と『ゲームシステムの連動』が根底にあると言えるのではないだろうか。

アンドレヤ 説明には感謝するけど、この件に関するあなたの決断は…

Starfieldの派閥クエストで非人道的研究を推し進めた結果、コンパニオン全員から非難轟々になったことがある。基本的に善人的な選択以外を選ぶメリットは無さそうだ。

仮想世界に自己を投影すると「でもこれゲームだしな…」という孤独と戦わねばならない

ここまで読んできてくれたあなたは「そもそも、”なりきろう”とか考えてないわ!やりたいようにやってるだけじゃい!」と思うかもしれない。

「こういうキャラになりきろう」と考えるタイプじゃないし、複雑なゲームで遊ぶのは簡単なことではない。(どちらもやってみると面白いですけどね)

私にとって”アイツ”は単なるアバターだ。行き当たりばったりで、やりたいようにやる。多くのプレイヤーもそういう感覚ではなかろうか。

つまるところ、”アイツ”はほぼ私自身なのだ。

オンラインゲームであれば、プレイアブルキャラが単なるアバターでも関係ない。そこにあるのは、私と他者との絶対的なやりとりだけである。

しかし、私たちがやっているシングルプレイのデジタルゲームに”他者”は存在しない。それをわかりやすく感じるのが「ロマンス要素」だ。

ゲーム内の言動によって好意を持たれても、ゲームキャラクターが「私自身」に愛を囁くという構図にノリきることができない。

サラ:あなたとの出会いは、私の人生で一番の出来事よ

「お前は恋愛ADVを全否定するのか」と言われるかもしれない。でも、そういうゲームの主人公って名前を変えれても、強い人格を持ってると思うんですよね。(偏見)

ウィッチャー3 ゲラルトのセリフ

前述した『ウィッチャー3』のようなゲームなら、主人公が誰とイチャコラしてても”主人公の物語”として認識できるので問題ない。

“アイツ”は私から主人公という皮を剥ぎ、むき出しの姿を曝け出す。だから私は、”アイツ”が苦手だ。

誰かの物語を追体験するほうが好きなのだ。

『ディスコエリジウム』が私の理想かもしれない

『ディスコエリジウム』

最後に、最近クリアした『Disco Elysium』の話をしたい。今作の主人公は酒に溺れた中年の警察官だ。酒を飲みすぎて記憶を失った状態から始まるため、プレイヤーは”コイツ”がどういった人物なのかわからない。

しかし警察官という都合上、目の前の事件に対処せねばならない。プレイヤーは事件に対処するため、主人公の内面を作り、なりきっていく。

私が1週クリアした時点でのステータス
私が1週クリアした時点でのステータス

知的な解決手段が得意なのか、腕っぷしでゴリ押すのか。何にせよ、プレイヤーのステ振りや受け入れる思想によって、できること、できないことが決まる。だが、この際それはどうでもいい。

面白いのは、24つあるスキルがそれぞれ人格を持ち、ボイス付きで主人公の脳内に話しかける点だ。もちろん、スキルレベルによって内省も変わる。

これにより主人公の思考が、スキル振りによって疑似的に形成される。プレイヤーが作る主人公が、自動的に高い解像度で確立されるのだ。

ディスコイリジウム セリフ

”なりきる主人公”が確立されていく一方、物語が進むにつれて主人公の正体が明かされていく。自分が作り上げた主人公から、ゲームシナリオ通りの主人公へシフトする流れに面を食らった。

自分が作り上げたキャラクターと思いきや、結局はゲームの設定に踊らせている感覚が妙に心地よくて気に入っている。

主人公の物語とプレイヤーの物語は似ているようで違う

『fallout4』 愛犬との2ショット

『fallout4』の主人公もまた、育成することでなんでもできる万能型だ。ただし主人公には濃いバックグラウンドがあり、専用ボイス付きがあり、確立されたキャラクターでもある。自由なロールプレイを求めるシリーズファンからは微妙だったらしいが、私はむしろそれがよかった。

私は感情移入することを、重視視しすぎていたのかもしれない。もしかすると映画やドラマのように、誰かの物語を楽しみたいだけで、ゲームじゃなくて良いんじゃないかと思われるかもしれない。

でも、私は主人公の半生を追体験し、主人公の感情に操作を突き動かされる感覚が好きだ。”私じゃない誰かの物語”だからこそ、熱くなれるのだ。

140文字以上の文章を書くことに慣れず、読みづらい部分や間違っている部分もあると思いますが、同じように感じている方の胸のつっかえが取れれば幸いです。

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