ゲームレビュー難しすぎワロタ

羊谷知嘉さんの「批評論:ゲームレビューを書くことが何故難しいか」という記事を読み、感銘を受けた。

最近「恐怖の世界」というゲームにハマっていた私は、ものは試しとゲームレビューを書こうとしたが、レビューってのは地味なわりに書くのが難しい。結果として、自分は執筆を断念してしまった。

いまでも正解は分からないが、自分なりに感じたゲームレビューの難しさや、自分自身がレビューを読む理由を整理してみた。参考にはならないと思うが、共感を得られたら嬉しい。

その作品だけで判断できることは少ない

「ゲームをたくさん遊んでいることや、知識に長けていることが、レビューを書くための条件」と思っていたが、果たして本当にそうだろうか。

過去作や類似作を遊んでいないとレビューできないなんて、そんな堅苦しいことはない。しかし、経験や知識が本来の姿を照らし出すことも事実だと思う。

私は『Fallout4』を2020年頃に初めて遊び、それがきっかけでゲームにハマった。そのとき、Fallout4に対して「なんて自由なゲームなんだろう」と感じた。

もしその時にレビューを書いていたら、「自由に探索できて~、選択によって変わる物語も自由で~、クエスト毎に解決手段も自由で~」みたいなことを書いたと思う。

私は何をもって、自由度が高いと感じたのだろう。自由度の高さを判断するためには、自由度の低い作品を知らない限り判断できない。明確な基準を持っていなければ、作品の自由さに気づきようがないはずだ。

思い返すと、当時の私は2006年に遊んだ『ポケモンダイヤモンドパール』の知識くらいしか持ち合わせていなかった。(私は生粋のダイパキッズである)

つまり、ダイパとfallout4を無意識に比較して「自由度が高い」と判断したのだろう。

あるいは、世間のレビューからFallout4が自由度の高いゲームだと学び、「ふーん、自由度が高いってこういうゲームのことなんだなぁ」と認識し、勝手にそう位置づけたのかもしれない。

ダイヤモンド&パール公式サイトより拝借

もし当時の知識のまま、fallout4をレビューするならば「Fallout4は、選択によってエンディングが変化するし、課題に対していろんな解決手段があるし、キャラクリも見た目から能力まで色々選べてとても自由なゲームだった。”ダイパに比べて”」と書くだろう。

もちろん、上記の書き方が悪い訳ではない。だがこの書き方は、誠実でありつつも適切ではない。参考にならず、面白くもなく、必要最低限の参考になる『なんらかの前提』が欠けている。

当時の私に『Fallout4』のレビューを書かせるのは、どう考えても無理があるのだ。自分の目指すレビューを書くためには、自分の比較対象が適切であるか判断しないといけない。

レビューはみんなの発掘作業

いま思うと、書き手の背景を知るためレビューを読んでいるのかもしれない。自分にはない物差しに触れ、作品の新たな形を掘り起こすのが好きなのだ。

前述した”自由度”はかなり個人の感覚に依存した例だが、『時代考証性』なんかはどうだろう。

今年遊んだ『Pentiment』を例に挙げる。今作は中世ヨーロッパの田舎町を舞台に、宗教観のせめぎ合いで起きる殺人事件を扱ったミステリーADVだ。

私が本作を遊んだ感想を書くなら、こんな感じになる。

「本作で起きる殺人事件は一つではない。一つの事件ごとに、かなり年数が経つ。毎回、被疑者が複数存在する上、真犯人はプレイヤーには分からない。それでも死刑にする犯人を選ばなければならないため、その選択によっては生まれない子どもが居たりなど、その後の村の人間関係にダイレクトに反映される。その選択が反映された村で、また新しい事件が起きるのである。『選択』と『結果』を重視するゲームは数あるが、本作ほど、一作でその価値が実感できたものは稀有だった。」

…みたいな感じが限界だろう。あえて付け足すなら、扱える言語の種類や大学で学んだことなど、知性に寄せたビルドが珍しかったとか。

もし私が中世文化に精通していれば、本作で描かれる16世紀ヨーロッパの風俗や宗教観が史実に基づき、当時の時代背景をテーマに落とし込めているのか、他作品と比較して論じられるかもしれない。

もちろん、時代考証がしっかりしている=ゲームとして素晴らしい訳ではない。一つの価値観をテーマ全体の指標にするのは間違っている。

しかし、時代考証性を判断材料にできれば、ゲーム性とは別視点で論じることもできる。レビューを鵜呑みにするのは間違いだが、批評の存在が作品の本質に近づくための手伝いをしてくれる。

わかり易い例として、「翻訳」を挙げる。

私でも、ローカライズされた日本語が読みやすいかは判断できる。しかし、原文のニュアンスを崩さず翻訳する『質』の面に関しては知る由もない。

なぜかこのシーンだけ違和感がすごかった

これも、その言語の知識があったり、翻訳の経験がないと気づきようがない。ウィッチャー3などで有名な『CDProject』のローカライズはすごいと言われるが、私にはどう凄いのか判断できない。もしそれが判断できるならば、他作品と比べていかに翻訳の質が高いのかを読者に示せるかもしれない。

他にもPentimentで言えば、ミステリーとしての立ち位置、という切り口もあるかもしれない。本作のレビューの中に、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」をなぞった作品であると指摘するものがあった。

その指摘が正しければ『中世宗教観のせめぎ合いによる軋轢が呼ぶミステリー』は、別段新しいものではない。既にある作品をゲームとして堅実に昇華させた、といった総評になるだろう。

ゲームレビューを『発掘作業』として考えれば、批判的なレビューも建設的に捉えられるかもしれない。自分にはない物差しで批判しているのであれば、自分の偏りを疑うきっかけにもなる。

正直に書くって難しい

こう考えると、専門的な知識や経験がなければ、面白くて参考になるレビューを書くのは非常に困難だと思えてくる。鋭い観察眼があるわけでもないなら尚更。

私に書けるのは、誰でも気づけることを少ない引き出しで比較して、根拠を嘘なく提示することだ。

それすらも案外難しく、土台がないがゆえに、正確さを切り捨てて、引きのある言葉や感情論で語るような、レビューとはかけはなれた何かに逸れたくなる。情緒的な文章も面白いが、レビューに求められる内容ではないと思う。

まず、正直に書く。それから入るしかないんだろうなぁ…。

とりあえず、足で稼いでみるのも良いかもしれない。気軽に過去作や類似作を遊んで比較してみる。ありがちだが、とっかかりとしては最適だと思うのだ。

類似作を遊んで、「こっちのほうが好きだなぁ、なんでだろうなぁ」と考えるのは、単純に楽しい。そういう楽しさを共有することから始めてみればいいのかもしれない。

じゃあみんな、ゲームレビューの未来は任せたぜ!俺は…まぁぼちぼち気が向いたら書きますわ!!

最新情報をチェックしよう!