コラム記事のすゝめ

ゲーム紹介=レビュー(批評)のイメージが先行している気がする。本来、批評は他作品と比較するための前提条件が必要だったり、芯の通った命題が必要だったり、相当難しい手法なのです。なので自分は安易に使わないようにしているし、自分の活動は「ゲーム紹介」と口酸っぱく伝えている。

批評は作品に対して何らかの問いや根拠となる判断材料を持ってジャッジする。問いが深く証拠が強いほど批評精度は高くなって議論の糧となるのだけど、これがまぁ難しいのですよね。知識が必要なのはもちろん、自分の設定する命題で全てが狂うこともあるので自分にはできない。

かといって、情報を伝えるだけの記事も味気ない。誰にでも分かるように噛み砕いて面白さを伝えるのもライターの使命だけど、そこに書き手ならではの主観を取り入れたものが理想だと思う。といったら語弊を招きそうなのでワンクッション。自分の主観が読み手の客観と交わらなければ独りよがりになってしまう。

そこで登場するのがコラム記事でございます。超ざっくりいうと「何らかの疑問があって、対象を通して書き手の視点や考えを共有できる文章」って感じですかね。書いてる人と読んでる人が同じ感覚を見つめられればOK的な。軽く整理すると下記の形です。

・紹介:作品の中身を伝える
・批評:作品を分析して証拠を持って評価する
・コラム:作品を通じて視点を共有する

もしゲーム記事を書いていてランクアップしたい、と考えている方は独自の視点とそれを共有する文章を書けると良いよね~と思った次第です。

「うぉぉ!!これめっちゃ中毒性あるぞぉぉ!!」じゃなくて、「設定された実績を解放することが一種のチュートリアルになっていて、達成後にステータスがちょっと増えるから同じ作業をしていても前進している感覚を得られて中毒性の元になっているのか」。

みたいに書けたら面白いですよねって感じ。

紹介のなかにコラム的な要素を含めると、ちょっとだけ奥行きが生まれておもろそうじゃん。みたいな仮説。自分の場合はエッセイを混ぜて濁しちゃうので、イチから勉強して読み物としての強度を高めていきたいところ。こうやってペラペラ書いているけど、実際に書いてみると難しいんですよね~(笑)

問いと理由。ここを起点にできると文章って強くなるよな~と思ったのでメモがてら書きました。レビューも良いけどコラムもね、という話。


今日のゲーム紹介は『コーラリーナ』。読書クラブの活動中に図書館の地下から辺獄に迷い込んでしまうADV。その先で惨殺された友人を発見し、調査官のクロウと一緒に調査を進めていく流れ。主人公の過去、クロウの回想、辺獄の住民、といった形で複数の視点を往復する断片的なシナリオが特徴。複数のイラストレーターさんがスチルを担当してて、同じキャラなんだけど描き方が異なるのも特徴だと思う。

とにかく難しい。

一本の物語を真っすぐ追うのではなく、オムニバス形式で外堀から埋めていく流れになるので輪郭を掴みにくい。寄り道しながら文脈を拾い集めるジグソーパズル的な側面が強くて、空白を埋めながら物語を組み立てるみたいな遊び方になるのが印象的だった。分かりづらさを遊び応えに昇華している良き例だと思う。

複数のイラストレーターさんが参加しているから主人公のビジュアルはブレるけど、核となる部分は押さえられている。世界観の拾い具合だったり、人物像の切り取り方だったり、断片的な物語の進め方とリンクしていて個人的に好きな部分。一つの作品で色々なスチル絵を拝めるのでお得でもある。

一本道にしてキリの良いタイミングで視点が切り替わる作りでも良かったのにと思ってたんだけど、横断型の構造にすることでマップ探索の面白さを強める側面があるのだと思う。現にどちらの構造にしても大枠のシナリオは変わらない。どのくらいの分割頻度にして、どこに散りばめるか。そこが変わる程度。

難しい話を読むのは好きだけど、支離滅裂な話は苦手って方にはおすすめの作品。理解できなさを抱えていても、プレイヤーが地道に情報を集める姿勢さえ崩さなければ答えてくれる。文脈を埋めていく面白さと、ピースの繋がった話を眺めて考察する面白さ。この二つを軸にした作品だった。

真っすぐ進めば1時間ほどでクリア。探索して物語を補完する場合は2~3時間くらいだと思う。考古学っぽくて面白いですよ。


今日はお出かけするので、この記事が公開されている頃には酔っていると思う。酔ってしまったら帰れない場所なので少々不安でもある。未来の俺よ、ウコンは飲んでおけよ。

起きてすぐに日記を書いているのでネタがない。書くことがない、ということを書くことでそれなりに書いてるっぽく見えるので何とか乗り切る。週刊コラムを抱えている先生たちはネタストックをどうやって溜めているのだろうか。

最近読んでいる日記エッセイの達人「古賀及子(こがちかこ)」さんが「5秒のことを200文字で書く」とか、「朝起きて、夜寝るだけでも書ける」と言ってて怖かった。考えていることに興味はなくて、実際に起きたことしか興味がない、と。起こることをそのまま日記に書いて、そこからの後追いで心情を連ねるらしい。それって天才じゃん。

Do(行動)について書くのか、Think(考えること)について書くのか。これによっても内容が変わるのかもしれない。自分の場合はほぼDoな気がする。手当たり次第に遊んでフィーリングで伝える。このやり方に限界を感じて悩んではいるのだけど、思想だけは尊敬する作家さんと一緒で嬉しいなと思った。

内面の掘り下げが日記の美徳みたいに語られがちだけど、ほんとは行動記録みたいな無機質さに引っ付いてるしょうもないことが日記の面白さなんじゃないかなと最近思うようになった。成長記録みたいなテーマ性のないもの。なんというのだろうか、面白くなさが面白さを生んでいるというか。

物語になりそこねた事実、というのは飾り気がなくて、気楽に食べれるおにぎりみたいな良さがある。きっとそこに答えがあるような気がするんだよな~。世の中は物語を作ることを重要視するけど、作為からできるだけ遠くにあるものを書きだすことが自分にとっての面白さなのかなと思う。

ゲームを題材にして書かれた記事はどうしても中身や意味に寄ってしまうし、もし「説明しない」という選択肢を取ると全てが破綻してしまうイメージがある。やはり無理か、いや行けるか。せめぎ合い。

また今後考えることにした。

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