日記とエッセイが微妙に違うと気づく

神戸に住んでいる友人から「東京のZINEフェスに行きませんか?」と声を掛けられ、こりゃもう行くしかねぇだろと遊びにいく。夜行バスで行くことはあっても、来てもらうことはなかったのでちょっと新鮮。

せっかくだからと行きつけの洋菓子屋ボンフーレに寄り、お気に入りのクッキーを購入。そのせいで電車に乗り遅れ罪悪感を感じる。何かを得るためには何かを失わなければならない。自己中等価交換。

即売会イベントを友人と回る機会なんて早々ないので、どんな本を買うのかお互いにチェックしながらお買い物。すげぇ良い。オタク同志が桃園の誓い掲げてコミケに進軍してるかのような感じ。

自分は日記やエッセイを中心に買い込み、友人はイラスト系や無職体験談を買っていた気がする。この違いも面白い。ファッション系の画集で気になるのはあったけど、予算の都合で我慢。

今回は兎にも角にも、日記が欲しかった。日記という確立されたジャンルがあって、何を持ってして日記として成立して、面白さがどこに現れているのか。正直あんまり分かってないので知りたかった。

「日記って良いよな~」の”良いよな”の部分があまりにもフィーリング過ぎる。しこたま買って、細々読んでる内に、盛らない現実味が日記の良さなんだろうなと掴んできた。

それと今日、まじで電流が走ったんですけど、日記とエッセイって違うんですよ、知ってましたか。

日記の切り口って写実的というか行動と感情の記録に近くて、淡々と書かれているからこそ覗き見しているような感覚が生まれる。書き手と文章に若干の距離がある感じ。

一方のエッセイはちょっと違っていて、事象と心象を同じ比率で描くから読み物として機能している。面白いけど磨き上げた感があって、書き手から離れて作品として着地している感じ。

同じものだと考えていたけど、日記の方が無骨で自然体である方が美しいし、デコボコを楽しむのが本来の楽しみ方だと思う。エッセイは主観をベースにして整地された方が面白くて、創作としての揺れ幅込みで味わうもの。

たぶんだけど、日記に惹かれている理由は作為性のなさというか、生活と地続きになっているからだと思う。一見するとエッセイも同じなのではと思いがちだけど、作家性が生まれて読み物として切り離されるというか、なんというか。

日記の方が生活の純度が高い。これに尽きる。

エッセイも面白いんだけど、創作寄りになって作品として見えてしまう。強度の代わりに生っぽさが消えてる感じ。上手くいえないけど、自分の中でようやく違うものと認識できるようになった。

いま書いているこれは日記というよりもエッセイだと思う。いうなれば日記風エッセイ。自分の感情を書き過ぎてるから記録的な側面が薄い。これは求めているものと違うのでNG。

もっと淡々と書きたいんだけど、どうしても情感を持ち出してしまうのが悪い癖だなと客観視。もっと機械的に書くのも逆に面白いかも。自分のなかで書き方のバリエーションを増やしたいなと思う一日だった。

最新情報をチェックしよう!