初めてブログに出会ったのはアメブロだった。あの頃は「毎日記事を書くことが正義だ!」という脳金ライティングが信仰されていて、馬鹿真面目にゲームブログを毎日書いていた。幼少期に最後まで遊びきったゲームを思い返しつつ、なんとか切り盛りしてネタを探していた気がする。アメブロ側が水増ししたアクセス数をニンジンに見立て、よだれを垂らしながら馬のように書いていた。報酬は読者との交流だけだった。
「ブログを書けば稼げるぞ!」みたいな黄金時代がホントにあって、大きく稼ぐことは出来なかったけど相応に書けていた方だったと思う。同時期に書き始めて勝手に仲間意識を持っていたブロガーさんの中には、いまをときめくインフルエンサーさんもいる。そう考えると、自分は古参ブロガーなのかもしれない。
インターネットに情報が蓄積され、稼ぐためには「SEO(サーチエンジン最適化)」と呼ばれるテクニックが必須といわれるようになった。ざっくりいえば、グーグルで何かを調べたときに自分のサイトが上に来るよう調整する技法である。つまらないとか面白いなんて機械じゃ分からんのだから、アルゴリズムのご機嫌を取れるサイトを作って稼ごうぜ!みたいな風潮でブログ文化は見事に破滅していった。
この頃から、「毎日記事を書いても低品質になるんだから量より質を目指しましょう」的なお作法が生まれる。そりゃそうだよなと思い、当時は毎日更新することもなく事前にリサーチして需要のある記事を書くことばかりしていた。結果が出ると嬉しくなって、それっぽく見えるタイトルとか見出しを付けてグーグル様に五体投地する記事が増えてくる。中の上みたいなゲームブロガーだった気がする。たぶん。
それと、「ゲーム日記のような誰の得にもならない無意味な記事はサイト全体の評価を下げるので書くべからず!」みたいな呪いが蔓延しだしたことも覚えている。そこそこ上手くいってたので、「確かにその通りだ!」と感化されて日記も辞めてしまった。数十年後にはAIが台頭するなんて誰も思ってないもんだから、最新情報や攻略法を載せるのが大正義の時代だった。…これは今もそうか。
なんでこんなことを書いているのかというと、人が意識的に見るのは日記みたいなパーソナルな部分なんじゃないかなと思い始めたから。SNSとかで流し見するのは受動的な行為であって、読みたいと思って見ている訳ではない。この先、本気で自分のサイトを運営するのであれば、「このサイトを読みたい!」と思える何かが絶対に必要だと思う。
そこで登場するのが日記やラジオである。昨今はnoteやらPodcastやらも流行ってるし、個人の趣味嗜好ではなくてマーケティング的に考えても必要なのだ。前から書きたいと思っていたし、ようやく書きたいものと書くべきものが重なった感がある。粛々と書くだけのフェーズに入れる喜びを嚙み締めつつ、毎日やっていた紹介動画に終止符を打つ恐怖に震えている。
いまさらになって、日記でもなんでも毎日更新することの偉大さというか、一人の人間が活きた証をそれなりの文章量で読めることに面白さがあるのを発見した。なんの意味もなく生産性を持たない文章だからこそ感じる素朴さというか、必要性のなさが好きなのかもな~と文学フリマに参加して思った。それに、面白い日記を書く人の紹介記事なら読みたいじゃん。
ここまで読んでいる変わり者のあなたも、こういうしょうもなさに居心地の良さを感じているから読んでいるんだと思う。この前、TwitterでHARF-WAYを「気軽に寄れる立ち飲み屋」と言ってくれた人がいて、ホントにそうなったらいいよな~と思ったし、そういう空気感を出していくべきだと知れて嬉しかった。だから露骨に日記を押し出している。
「エッセイは自分の人生を切り売りするもの」と誰かが言っていて、だったらゲームメディアを運営する自分自身の人生もコンテンツに昇華できるなと思った。日記の1ページは写真でしかないけど、数十ページからなる日記帳を通してみれば物語になる。毎日更新の毒にも薬にもならない記事が、誰かにとってドラマ的に楽しめるものになってくれたら嬉しいな~の気持ちで続けようと思う。頑張って書くから頑張って読んで。