今日、海外のインディーゲーム専門誌が話題になっていた。パイは小さいだろうけど確実に刺さるものだったし、自分のタイムラインも当然賑わっていた。紙媒体に注目が集まるのは嬉しいことだ。
日本市場に流れて来るかは分からないけど、海の向こうでは自分の作りたいモノを商流に乗せている人物がいる。ゲーム雑誌を作ることはやっぱり可能らしい。自分のやってることは間違いではなかった。
きっと、ほとぼりが冷めたころにはみんなゲーム雑誌のことを忘れてしまうと思う。どれだけ興味を持ったところで情報を追い続けるのは難しいし、発信元がこちらに旗を振り続けるとは限らない。
自分から積極的に情報を追える人は限られていて、そのうち口元から萎む風船のように記憶から抜け落ちる。そして、忘れたころに思い出して、また騒ぎ出す。SNSの話題はそうやって凪いでいく気がする。
あった方が良いのにそれが作られないのは、作られない理由があるからだと大人になって知った。つい最近のことだ。アイディアと雑誌の間には虚空が広がっていて、虚無を漂った末にモノは生まれる。
今日読んだ本に、こんな言葉が書かれていた。
「芸術では食っていけない。だが、芸術というのは、多少なりとも生きていくのを楽にしてくれるいかにも人間らしい手段だ」と。
もし仮に、自分がゲームZINEを作りあげたとき、間違っても「人に求められたから作った」と思わないようにしよう。波が去ったらひっそり出して、誰かがなにかを思い出して、そしてまた忘れる。それでよい。
カナヅチを恥じていたけど、ZINEを作るのはあくまで自分を助ける人間らしい手段であると分かってちょっとだけホッとした。