ちょっと試したいことがあってXの記事機能を使った。
いつも通りポメラで原稿を書いて、推敲の段階でSNS用に文章をテコ入れ。文章のリズム感と段落・改行のタイミングを思いっきり変えたので、目の進むスピードが速すぎて読み心地の違和感が凄かった。
原文のニュアンスを残しつつ、理性のブレーキを外す。普段なら絶対にしない魔改造。「読後感がキモいな~」と思いつつ、練習だから仕方ないと唇を噛んで推敲を終わらせる。
Xのアルゴリズム的に記事にはブーストが掛かると予想していて、ものは試しと実験したかったのが理由の一つ。SNS内のコンテンツが充実すると、プラットフォーム側にとっても都合が良いはずだから正しいはず。
どうだったかというと、予想どおりインプレッションが高い。明らかにHARF-WAYへのURLを載せたときより表示されていて、通常ポストよりも優遇されていることがよく分かる。
文章が機能していることも重要なんだけど、仕組み的に有利に働くことが分かった。メディア記事と使い分けても良いのかもしれない。まだまだ伸びしろのある領域だから遊んでみるつもり。
Xの記事なんですけど、じつは裏でこっそり書いている有料記事の見出しを丸ごと抜き出して載せました。だから掛かったコストはゼロ。それなりに反響もあったし、施策としては大成功だったな~って感じ。
全体ボリューム4500文字程度の記事原稿があって、今回抜き出したのが1300文字くらい。ひとつのゲームから複数のコンテンツを作る方法を模索していたので丁度よかった。
文章を載せる媒体に応じて文体や質感を変えるのは昔からやっていたけど、「どうやって見せるか」を意識したことはなくて、SNSはアラカルトみたいな感じ。普段の記事は隠れた小料理屋の定食的なイメージ。
手触りを変えたり、読み心地を変えたり、形状を変えたり。自分の中にない執筆スタイルにも挑戦したい。色々やってるうちに自分の文章にバリエーションが出ると思うから。
文章の上手さに固執していたけど、ほんとはそんなもの存在しないのかもしれない。
というのも、場所によって求められる文章の姿形はバラバラだから。自分が良いと思ったものですら、道を一歩外れるだけでズレた評価になる。メディアウケするのと、SNSウケするのは目指すべき形が全然違う。
自分が追い求める理想形を追求するのは大いに結構なんだけど、そればかりを見ていると歪む気がするなと最近気づいた。SNSに本腰を入れたからこそ気づけた部分だと思う。
例えばの話、「こうゆうっぽい文章」は、文字を読む人にとって面白みのある文章だと思う。でも、SNSを見ている人との相性は正直悪い。何故なら、本題に入るまでが長くてノロマな文章だから。
逆に、SNSに寄せて「美味しい部分が既に見えている文章」は、面白い情報を追いかけている人にとって食いつきの良いコンテンツになる。でも、文章を楽しみたい人にとってはジャンキーで脂肪分が高い。
自分の好き嫌いで文章を書くのも良いのだけど、戦場を変えて求められるものを書くのも面白い。そもそも、文章の上手さは定義は場所によって異なる。いままで「上手さ」を履き違えていたのかもしれない。
さまざまな経験を積んで感性を磨きながら文章に活かすこともそうだけど、感性を保ったまま文章そのものの経験を積むこともまた重要なのだろう。学ぶことが尽きなくて、書き物の世界は奥が深い。
色々な型を学ぶことで崩れる部分もあるだろうけど、自分は複数の視点や書き口を横断しながら何かを作ることをしたいのかもと思った。まぁ、エッセイが一番好きなことには変わりないけど。
文章の上手さなんて場所によって評価軸が変わるんだから、自分の書き方を変えるのも悪くない。文章を書くのって苦しすぎて楽しくはないのだけど、やっぱり面白いよな~と思う一日でした。