勉強は手書きの方が捗る

キーボードを使うときと手書きでは、脳みその使い方が違うと聞いたことがある。これに関しては流派があるらしく、どちらが優れているとかではないらしい。

自分がどうなのか思い返してみると、ここ最近はすべてポメラにお任せ状態だったので手書きからは遠ざかっていた。ぽちぽち打ち込む方が入力も早いし、思考の整理という意味では軍配が上がるからだと思う。

でも正直、このやり方は定着率が悪い気がする。こんがらがった情報を見える化しても、ポストイットで貼ったかのように剥がれていく。忘れちゃっても良いと脳みそが勘違いしてる感じ。

インプットもサボり気味だったし、ここらでいっちょ真面目に勉強しようと万年筆用のインクとノートを買ってきた。人生で一番勉強していたときは死ぬほど写経してたし、原点回帰で手書きに戻ることにした。

ボールペンを使わない理由は万年筆を使った方がカッコいいから。良いものを使ってるからには頑張って元を取らないといけない、そう感じるとモチベーションが沸き上がるので自分なりの処世術だったりする。

自分の書き方でしっくりこない部分も多くて、なんか違うんだよな~と思いながら完成させるのが悔しいのだ。思ったことをそのまま書いて面白くさせる技量もないし、いまだに探り探り書いているし。

久々に手書きで殴り書いて、筆跡を優しくなぞる。渇きが甘くて黒いインクが手に付き、紙の設置面には引きずられたような跡が残った。ボールペンみたいな凹凸はできないけど、なんだか懐かしい。

分厚い教則本を開いて気になった部分をひたすら書き写す。ノートが字で埋まる。雑念が消える。ちょっと、満たされる。集中力が必要だけど癖になりそうだ。3ページ目が書き切れなくなってペンを置く。

コーヒーで一息ついてノートを見返す。30歳を越えた人間だとは思えない字の汚さ。学生時代の積み重ねが大人になって響くと思い知らされる。丸文字で愛嬌を感じるのが唯一の救いといったところだろうか。

なんとなく、自分はそこそこ書けるほうだと自惚れていた気がする。編集者としての立場がそうさせたのか、徐々に高まる知名度がそうさせたのか、自分自身に手ごたえを感じたからか、どれかは分からない。

こいつ、心のどこかで「まぁそこそこ読めるものも書けるし、ライターとして仕事が貰えるだろう」とタカを括っていて気に食わない。自分がそこまで優れていないからこそ逃避行に走っている気がする。

これだ、と思うものが読めなくても死にはしない。でもそれしか目標がない。切羽詰まった芸人とか、バンドマンみたいな緩い破滅に向かっている自覚はあるけど、それで良いんだと割り切っている。

勉強は楽しい。新しいことが自分に入ってきて、明らかに成長した実感を与えてくれる。暗闇でどこに向かって良いのか分からず苦しむなか、何もしないよりはマシだと光が差し込んでくる感覚。

出来ないことが明るみになって凹むけど、一つずつ課題が分かるので悪い気はしない。何も考えずにゲームを紹介して浮かれている頃に比べたら、金にはならないけどよっぽど健全な生活だと思う。

はぁ、まさか自分が夢追い人みたいな生活を送るとは。しかも、希望に満ちて飛び出したわけでもなく、闘争心もなく地面を這いずり回っている。過去に戻れるなら自分を説得してレールに戻すだろう。

ここで「自分は高尚な思いを抱き必死に戦っているんだ!」とか思えたら楽なんだけど、死にぞこないのフリーランス生活をしている割りに現実主義なんよな…心が思想に追いついてない。

唯一、この経験を積んだことで分かったことがあって、自分は紙とペンがあればそれなりに楽しい人生を送れるらしい。頑張って結果を出せなくても、自分の考えをまとめたり人生に学びがあれば満足できる。

求めなければ、人生まんざらでもないのかも。
まぁとりあえず死なないことを目指します。

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