家のほぼ真横にある自動販売機からおしるこが消えた。
どうしても寒いときは必ずあの小豆汁を飲んでいて、美味いとか不味いとかに関係なく続けている習慣みたいなものに近い。中学時代の部活帰りに飲んでハマって以来、ずっと飲み続けている。
散歩コースの自販機で売っている場所は把握しているし、絶滅したわけでもないのだけど何だか悲しい。人類もっと飲めよ、おしるこ。一緒に底に溜まった小豆を見て嘆こうぜ。
あのドロッとした甘さ。舌に乗っかる甘さじゃなくて、味蕾を占領するような甘味。舌をヒョイと持ち上げて、豆を潰して味変を楽しむ粋な楽しみ方まで備えていて隙がない。
甘くて温かいものを飲みたいとかじゃなくて、明確におしるこを飲みたいから飲んでいるって感じなのよね。食に関する欲求が薄い自分にとって、「これが飲みたい!」とセンサーに引っ掛かることは珍しいことなのに消えてしまった。
思い返せば、ミルクセーキだって消えている。あれ美味いのに何で消えたんだろうか。原価掛け過ぎて赤字になったから強引に消されたのでは、と疑うくらい飲まれていない事実が信じられない。
自販機にコーラとかファンタとかがあっても当たり前すぎて嬉しくないけど、変わり種があると嬉しくなる。ドクターペッパー、マウンテンデュー、得体の知れないエナジードリンクがあるとトキめく。
ところが、気に入った自販機を見つけても好きな飲み物から消えていく。「俺がめっちゃ買うから残してくれ!」と懇願してもシレっと消える。どこでも買えるコーヒーなんてぶち込まないでほしい。
好きなものほど消えてしまう。コンビニのお菓子も、パン屋の総菜パンも、酒屋のリキュールも。
そして諦めて別のモノを好きになって、それもまた気づくといなくなる。
好きが消えて悲しいと捉えるか、ハテナが現れてチャンスと捉えるか。こういうときに後者を選ぶ人間が世界を上手く渡り歩くとは思うんだけど、人間には悲しくて立ち止まる日だってあるわけです。
そういえば、映画の世界では良い奴から先に退場するのが鉄板らしい。
この前買ったハリウッドの脚本術について書かれた本によると、物語の展開を考えたときに主人公一行に乗り越えるべき壁が立ちふさがった方が盛り上がるから、と書かれていた。
何が起きても前向きな物語に起伏は訪れない。
人生はネガティブとポジティブを行ったり来たりして熟成されていくものだ。ちょっと悲しいと、ちょっと嬉しい。緩やかな波線を繰り返すことが一番傷つかず彩りを与えてくれる。
次は少しだけ良いことが待っているはずだ。
散歩帰りに立ちふさがる当たり付きの自販機で微妙に飲みたかったメロンソーダを買う。ピロピロピロ、がちゃん。底から出てきた緑色の缶を取り出して帰路につく。
もう少しだけ、ちょっと悲しいが続きそうだ。